「習うより慣れろ」(数学の勉強方法 -続き-)

 前の記事で,勉強の方法として教科書の証明を書き写す(できれば考えながら写す)のが良いと書いた


http://life-with-mathematics.hatenablog.com/entry/2017/03/29/132912


が,それは

 

  「習うより慣れろ」

 

の意味である.多くの人が感じているように,記号はもちろん,数学に出てくる言葉の使い方は日常的な会話のそれとは異なることが多い.したがって,まずは

 

 「”数学” という言葉の作法」

 

に慣れる必要がある.”定義” や ”定理” といった言葉の意味はもちろん,証明の書き方や細かい言葉遣いに至るまで.

 

 それが一番きちんと書かれているのは教科書である.よほどのことがない限り,書き写すうちに ”数学という言葉” そのものに慣れて,そして自分でも使いこなせるようになるだろう.そうなればしめたものである.あとはそれぞれの目標に応じて,練習問題をこなせば良い.

 

 思い出せば初めて言葉を習うとき,ひらがな,カタカナ,漢字にアルファベットに至るまで,まずはお手本通りに書くことができるように何度も " 書き写す" 練習を行った(やらされた)はずである. 

 「数学は自然科学の言葉である」というのが正しいのならば(数学を学んだ多くの人がそうであるように,私は正しいと思っている),初めて習う ”数学” という言葉を習得するのにまずやるべきことは「お手本を写して慣れる」こと,次に,「お手本なしで自力で書く練習をすること」のはずである.

 数学の場合,後者は練習問題を自分で解いて解答を記述すること,あるいは新しくわかった数学的発見について論文を書くことに該当する.

 であるならば,前者の「お手本を写して慣れる」ことはいつやるのだろうか.

 先生の板書を写すのもその一つかもしれないが,板書というのは授業の補助であって全てではない.かといって先生が口頭で話したことまで全てノートに書きとるというのはなかなか難しい.であれば,一番身近にあるお手本(=教科書!!)を写すのが一番手っ取り早くできることだろう.

 授業では教科書では説明が十分でないと思われる箇所や,重要なポイントを教えてくれるから,教科書の証明を写すことに加えて,その単元に該当する授業のノートをもう一度清書するなどすればさらに理解が深まるだろう.

 最終的には,「自分のための数学の教科書」を作るつもりでやると良いと思う.

 

 追記:

 同じ理由で,参考書や赤本を解くときも,できない問題は躊躇せずに解答や解説を開いてそれを何度も,わかるまで写すのが良い.そして「分かった!!」と思ったら,2,3日たってから今後は解答や解説を見ずに解くこと(ここでの”解く”は途中の計算や説明も含めて完璧な解答を書くことである)ができるかをやってみる.それができれば,次に同じ類題や,似たような問題でそれを試す.できなければまた解答や解説をわかるまで写す.... を繰り返す.

 ”できるまで考える” とか ”夢に出るまで考える” とかいうのは(その時間があるならそれでも良いが)差し迫った状況ではあまりにも時間がかかりすぎる.

 

 

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高校数学の勉強方法

 高校の教科書の表紙と裏表紙の裏面には,大抵その教科書で習う公式や定理が載っている.目標を達成するまで(大学入試,定期試験 etc...)に時間があるなら,新しいノートを1冊買ってきて,その公式や定理の証明をそのノートに書く(証明自身は教科書の該当する単元のページに書かれている).もちろんただ書くだけではなくて,書きながら考える(定理の仮定はどのように使われているのか,なぜこのような式変形をするとうまくいくのか....)

 

 難しいと思うなら,教科書に書かれている証明を丸々写すだけでも良い.

 

 その作業と同時進行で,練習問題や章末問題をやると良い.

 入試が近くなったら,そうやって勉強した中で自分が苦手と思う単元やとっつきにくいと思った形式の問題を,(解説がしっかり載っている)参考書を使って繰り返し解く.

 

以上

 

 

追記(2017.4.9)この方法は大学の数学でも同じである.大学の数学の場合には,各講義において指定された教科書の内容をノートに写しながら,講義の内容を加筆して”自分だけの”教科書をつくると良い.専門性が高い科目だと教科書が指定されていない場合もあるが,それでもとにかく講義ノートをもう一度(別のノートに)自分なりにまとめ直す作業をするだけでも良いと思う.

 

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証明問題の解き方

 

STEP0  図形に関する証明の場合は図を描く.

STEP1 問題文の中の仮定を書き出す.

STEP2 証明したいことを書き出す.

STEP3 証明したいことのためには,何がわかれば良いかを遡って書く.同時に図形に関する証明の場合は,わかったことをどんどん図に描き入れる(この作業を続けてすべての仮定にたどり着けば証明完了.STEP5 へ.たどり着かない仮定(使っていない仮定)があるなら STEP4へ).

STEP4 使っていない仮定があるから,その仮定から証明に必要な事実が導かれるかを考える

STEP5 仮定から結論に向かって証明を清書する

 

 

例:四角形ABCDにおいて,角Bと角Dの大きさが等しく,かつ対角線 AC が角Aを二等分するとする.このとき三角形 ABC と三角形 ADC は合同であることを証明せよ

 

考え方:

 

STEP0  図を描く(描いてみてね!!)

 

STEP1 仮定は3つ:                       

「角B = 角C」        

「ACは共通の辺」

「角 BAC =  角 DAC(角A が二等分されているから)

 

STEP2 証明したいことは三角形 ABC と 三角形 ADC の合同

 

STEP3

合同条件がわかれば良いから

「3つの辺がそれぞれ等しい」 

「2辺とその間の角がそれぞれ等しい」

「1辺とその両端の角がそれぞれ等しい」

のどれかを示したい.

 

2つの三角形について「AC = AC」はわかっているから残るは

「AB=AD かつ BC = DC」(3つの辺がそれぞれ等しい)

「角 BAC =  角 DAC かつ 角ACB = ACD」(1辺とその両端の角がそれぞれ等しい)

「角 BAC =  角 DAC かつ AB = AD」(2辺とその間の角がそれぞれ等しい)

「角ACB = 角ACD かつ BC = DC」(2辺とその間の角がそれぞれ等しい)

 

仮定を見ると 「角 BAC =  角 DACはわかっている!!だから

「AD = AD」「角 BAC =  角 DACはもうわかっているから)

 

「角ACB = 角ACD」(1辺とその両端の角がそれぞれ等しい)

「 AB = AD」(2辺とその間の角がそれぞれ等しい)

 

がわかれば良い.

 

STEP4 あと使っていない仮定は「角B = 角D」だけだから,これを使えそうなのは...

 

”「角ACB = 角 ACD」(1辺とその両端の角がそれぞれ等しい)” かな??

 

(図を描いて考えると...!!)

  「どんな三角形の内角の和も180度である」を使って

 

角 ACB = 180 - 角 B - 角 BAC 

            =  180 - 角 D - 角 DAC

            = 角 ACD          !!

 

STEP5

 

証明 

三角形 ABC と 三角形 ADCについて,

 

 仮定より,「角B = 角D」と 

 「角 BAC =  角 DAC・・・・・・・・・・ ①

 が成り立つ.三角形の内角の和は180度であるから

 角 ACB = 180 - 角 B - 角 BAC 

             =  180 - 角 D - 角 DAC

             = 角 ACD ・・・・・・・・・・ ②

 が成り立つ.

 また,仮定より,

   ACは共通の辺 ・・・ ③

 である.

 よって,①,②,③より,1辺とその両端の角がそれぞれ等しいから三角形 ABC と 三角形 ADCは合同である.(証明終わり)

 

 

 

慣れてくるとSTEP3を全部頭の中でできるようになる.それまでひたすら練習あるのみ!!

 

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「εとδと連続と」(大学生向け)

 いきなり数学の話から(ε はイプシロンと読み,δ はデルタと読む).

 

定義:

a を実数とする.f を点 a の周り(近傍)で定義された関数とする.関数 f が点 a において連続であるとは,

 任意の正の数 ε  に対してある正の定数 δ が存在して

 | x -  a| < δ を満たすすべての x に対して  | f(a) - f(x) | < ε が成りたつことである.

 

 

 

 

これは大学数学で学ぶ関数の連続性の定義の一つであり,俗に言う「イプシロン-デルタ 論法」である.

 この定義の分かりにくさ(すぐに意味がわかった人はこの先を読まなくても良い)について,考えをこの記事に書く.

 

 まずは中学校で習う関数の定義から;

  

定義:

 y が x の関数であるとは,x の値がただ一つに定まったとき,その xの値 に対して y の値がただ一つ定まるときをいう.

 

記号:この対応を記号 f などでかき,y = f(x)  などと表す

 

 2つの定義を見比べると,関数の定義では,

 

「x が決まる」→ 「y が決まる」 

 

の順番になっている.中学校ですでにこのようにならうので,その後高校の3年間も含めて我々の頭には

 

「関数について議論するときには,つねにx  (独立変数)が先に決まり,その後に y や f(x)  の値が決まる」

 

 という順序が刷り込まれてしまっている.

 

 一方,イプシロン-デルタ論法による連続性の定義でまず最初に述べられるのは(どんな(小さな)値にとっても良い) イプシロンである.そのイプシロンが何を決めるかというと,f(a) と f(x) の値の差の大きさである.

 それに対して,デルタを(いくつあるかもわからないけど,少なくとも1つ)選んで,x と a との距離が  δ より小さくなる”すべての"xについて,f(a) と f(x) の差の大きさがイプシロンより小さくなるようにできるときを,連続であると定義している.

 

大雑把に言えば;

 

 イプシロン-デルタ論法による連続性の定義は,関数の定義の順

 

「x  (独立変数)が先に決まり,その後に y や f(x)  の値が決まる」

 

とは逆に,f(x) の値を先に制限して,その制限を満たすような x についての条件を述べている;

 

「f(x) の値を f(a) のどんなに近くに制限しても」

→ 

「"その制限を満たす入力は |a-x| < δを満たす x すべてである ” ような δがあること」

 

 先に x (="入力")を考えるのではなく,f(x) (="出力")(の制限)を先に考えるというのがポイントのように思う.これさえ気をつければ,あとは時間をかけて考えれば分かるのではないだろうか.

 関数が連続であるとはグラフが切れ目なく繋がっていることであるというのも,色々なグラフを描いて考えてもらえば,納得してもらえるだろう.

  

 中学校のときに先生の説明を聞いてからずっと「関数について考えるときは x(についての条件) が先に決まって y(についての条件) が後に決まる」と思い込んでいると,イプシロン-  デルタ  論法による連続性の定義は分かりにくい.

 

 今回は真面目な記事でした(他の記事も真面目に書いてるつもりなんだけどね)...

 

 

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「将来の夢」(証明の話)

子ども:「ぼくね、大きくなったお医者さんになりたいんだ」

 

お母さん:「そう.だったらたくさん勉強しないとね」

 

子ども:「どうして??」

 

お母さん:「だって,お医者さんになるには医学部に行かないといけないのよ」

 

子ども:「ふーん...( イ ガ ク ブ ってなんだろう)」

 

お母さん:「医学部に入ろうと思ったら難しいテストに合格しないといけないのよ」

 

子ども:「そうなんだ!!じゃあぼくたくさん勉強するね」

 

お母さん:「頑張ってね!!」

 

子ども:「うん!!」

 

 微笑ましい会話であるが,我々は日常的にはこの「お母さん」のような考え方をしている.

 目標(目的)に対して,それを達成するためのプロセスを逆にたどるように考える.今の場合だと

 

「医師になる」 には 「医学部に入学する」 には 「医学部の入試に合格する」 には 「勉強する」

 

といった具合である.お母さんが最初に「たくさん勉強しないとね」と言った後に,子どもが「どうして」と聞いたのは,子供にとっては「医師になる」ことと「勉強する」こととの因果関係がわからなかったからである.

 

 数学の証明問題も同じである.証明問題とは,答えが先に書いてあって,その答えに辿り着くまでのプロセスを説明しなさいという問題である.

 

 「学問的に数学を発展させる!!」といった目標の場合はともかく,教科書の証明問題くらいなら,答え(証明すべきこと)が書いてあるのだからそこから逆にたどってどういう条件があれば良いかを考えていけば,大抵は問題文の中にある仮定にたどりつく(だからこそ,問題文をきちんと読んで,仮定されていることが何であるかを確認するのが重要である).

 

 それをまるで「仮定から順に考えて,きちんと正しいことが言えましたよ」と言わんばかりに解答欄に書き連ねれば良い.

 

 まるで数学の教師が

 

「なぜこんなこともわからないのだ」

 

と言わんばかりに黒板に書くように....

 

 

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「これができたら100万円」(ベクトルの話)

司会者:「さあ.今日も始まりましたこれができたら100万円.今日の挑戦者は会社員の A さんです.」

 

A さん :「頑張ります!!」

 

司会者:「それでは今日のチャレンジを発表します.それはこちら:」

 

 ”今あなたの足元にある丸印からちょうど 10km の地点に賞金100万円の入った箱が隠されています.それを見つけてください.ただし,制限時間は 2 時間で,自力での歩行と走行以外の移動手段(自転車,バイク,自動車など)は使ってはいけません”

 

司会者:「用意はいいですか??」

 

A さん:「はい」

 

司会者:「それでは.スタート!!」

 

 このチャレンジは成功するだろうか.運が良ければ A さんは100万円を手に入れるかもしれないし,そうでないかもしれない.なぜ「確実に手に入れられないか」というと,10km の地点ということは,候補となる地点は半径 10km の円の円周上の点だから(円周率の近似値を 3.14 として)

                       10 × 2  ×  3.14 = 62.8 (km)

の距離をくまなく探さなければならい.Wikipeda によれば男子マラソンの世界記録は2時間2分57秒だから,「箱を探す」時間を考慮に入れて ”確実に”  見つけることはできないだろう.

 これが ”チャレンジ” として成立する理由は,100万円の隠されている場所までの「距離」は示されているが「方向」が示されていないからである.

 

物事を伝えるとき,特に,どこに何があるかを伝えるのに方向は大事である.

 

 例えば,道を聞かれて「その店なら大体ここから100メートルくらいですよ」とだけ答える人はまずいない.大まかな距離(かかる時間)も大事だが,方角や道順といった情報はこの場合もっと大事である.

 

 「大きさ(この記事の例えでは”距離”)」と「向き(方角,方向)」が合わさって初めて情報として意味を持つものはたくさんあって,我々は日常的かつ無意識にそのような情報のやり取りをしている.

 

 数学では,それをベクトルという.

 

 「大きさと向きをもつ量をベクトルという」

 

********************************************************************************************

 「大きさ」と「向き」はそれぞれ別の情報で,状況に応じてどちらが大事かは変わるよね.特に

 

 ”場所” = "座標"

 

の情報を伝えるときは,

 

"大きさ"   と   "方向"

 

が両方とも大事だよね.だから両方の情報を表す記号をつくらないと....

 えーっと... とりあえず日常的に方向を示す時は矢印("→”)を使ってるから,文字の上に上に矢印を付けて

 

 ”この記号は「大きさ」だけじゃなくて,「方向」も情報として持ってますよ”

 

ってことにしよう!!

 

(数学者:いちいち矢印かくのめんどくさい....  今議論してることの内容

がちゃんとわかってれば伝わるからさ,なくてもいいよね....)

************************************************************************************************

 

多分こんな感じで今の記号になったんだと思う(妄想)...

 

 追記:

 

  数直線の上だと,絶対値が原点からの距離(=”大きさ”)で,符号 ”+ , -” が向きを決めている.つまり,実数 x が一つ与えられたとき, x は,その絶対値 |x| を "大きさ",符号を ”向き” とするベクトルと考えることができる.

 絶対値だけだと

 「その店ならこの1本道をまっすぐ行って100メートルくらいですよ」

と言われてどっちに進むかを知らされていない状態である.やはりこの場合も,右か左か(あるいは前か後ろか)という情報が加わって初めて(道案内としての)意味を持つ;

 「その店ならこの道を右にまっすぐ行って100メートルくらいのところですよ」という具合である.

 符号は数直線上で原点を起点にした”左右”という”向き”の情報である.こうして考えると,上に書いた通り,実数をベクトルとして考えるこができるのである.

 

 平面座標の場合,極座標表示: 「x = r cos θ, y = r  sin θ」を考えると r が原点からの距離,θ が方向を表しているというのがよく分かる.だから,r だけの情報では「その店はここから 100メートルぐらいですよ」とだけ言われているのと同じである.θ の情報を加えて初めて距離(大きさ)と方向(向き)が決まる.

 r と θ  の両方が決まるためには x と y の両方が決まっていないといけない.逆に,r と θ が決まれば x と y が決まる.これは平面上の1点 (a,b) は 原点を始点,点 (a,b) を終点とするベクトルとみなせることを意味する.

  すなわち,実数 a と b が決まれば,平面上の点 (a,b) までの

  「原点からの距離」=「大きさ(長さ)」= r

  「偏角」=「方向(向き)」= θ

 

が定まるから,(a,b) という表記を

 

「大きさ」と「向き」を持つ量 = 「ベクトル」 

 

の表し方の一つと考えることができる.ベクトルの成分表示の記法が座標の表示 (a,b) と同じ記法であるのはこのような事情による(のだと思う).

 

  

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