「わかる」という感覚
数学をやっているとつい考えてしまうのが「分かる」とはどういうことかということである.定義でも定理でも良いがその”意味がわかる”という感覚は少しでも数学を学んだ人なら感じたことがあるだろう.
最近,その感じ方が人によって違うのではないかと思うようになった.例えば,
・ 論理的に正しいことが示された時にわかったと感じる
・ 幾何的に図やグラフに書くことで,状況を把握することができ,わかったと感じる
・ 計算の結果が正しいと確認できた時にわかったと感じる
など,どのような時に「わかる」という感覚を感じるかは人それぞれ違うのだろうし,同じ人でも考えている対象や分野によって異なる「わかった」を感じるのだろうと思う.
数学の教師は,自分がどのように理解したか(=何をもって「わかった」か)を拠り所にして説明をする.したがって,その教師の思う「わかった」という感覚と聞いている側の「わかった」という感覚が遠いと,いくら説明を聞いてもわからないということが起こる.
そのような時は,一度教師の説明を頭から追い出して,自分で一から教科書を読んで考えてみるのが良い.
多少労力と時間を要するが,図を描いてみたり,具体的な問題(練習問題)を解いてみたり,いろいろと自分なりの「わかった」という感覚が得られるまで試行錯誤が必要である.
わかるまでの時間は辛いが,わかった時の喜びは一入である.