四方山話2

 

 いつのことかもどこでかも記憶は定かではないが,「音楽とは何かを考えるのは音楽に飽きた証拠である」というのを聞いたことがある.曰く,音楽に夢中な時は何も考えずに楽器をかき鳴らし,時間を忘れて練習するものであって,「音楽とは何か」を考える時間ができるということは夢中になっている時間が少なくなった証拠とのことである.

 

 私も前の記事でそのようなことを書いたからもしかしたら数学に飽きてきたのかもしれないが,それでも思うことろがあるから書いた.

 

 1とは何かとか,数は存在するのかとか,そういうことは現代の学校教育で数学や算数を学ぶ時にふと疑問に浮かぶかもしれないし,それに対して様々な答えを準備している人もいるだろう.

 

 しかし,前の記事に書いた通り,獲得した獲物を物々交換するのに”同じ程度の価値がある”ことを保証するには何らかの方法で”数”を数える必要があっただろうし,そのこと,すなわち物々交換によってより多く食料を獲得できるか否かは自らの生き死にと関わっていただろう.

 

 そんな時には,”数を数えるとはどういうことか”などは考えずに,相手に”数”をごまかされていないかを夢中になって指折り数えたはずである.それはもしかしたら音楽に夢中になる以上のことかもしれない.

 

 結局のところ,”1”が存在しても存在しなくても,数の概念がなんであっても,自らの命をつなぎ,種を繁栄させるためには”数える”ことが必要であったことに違いはないだろう.

 

 ”数学”を真理や美という言葉を使って美化せずとも,例えば,おやつに夢中になっている子には,

 

「お菓子の”数”が計算できないとおやつをもらうときに損するよ」

 

という一言で片がつくのではないだろうか.

 

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