四方山話

 

 何のために数学をやるのかという疑問は実際に数学を生業としている身でもふと頭に浮かぶ時がある.今となっては数学そのものが研究対象となり,数学的な美しさを味わうとか真理の探究とかそういった人間の好奇心と知的欲求が根源となっていることもあるだろう.私はまだまだその域には到達していないので,とにかく論文を書くことが第一義で,そのうちゆっくり自分が知りたいと思うことに近づけていけたらなぁ〜 と夢を見る程度である.

 

 一方,数学が数学として誕生した理由については美とか真理とかそういう飯の種にもならないものではなく,人間が生存していく上での根源的な欲求が元になっていたのだろうとおもう.

 

 想像してみて欲しいのだが,この世から貨幣が消えて(あるいは貨幣の価値が紙切れ同然になったとして)どのように経済が動くかというとやはり物々交換になるだろう(そうなった時に真っ先に食べていけなくなるのは私のような職業だと思うが).

 例えばあなたが,その体力と知恵から狩猟の能力に目覚めたとする.毎日狩りに出かけては家族だけでは食べきれないほどの獲物を獲得することができるようになった.一方,あなたの友人は水泳部で鍛えた体躯と自慢の視力を生かして毎日食べきれないほどの魚を獲得している.

 

 たまには魚も食べたいと思うあなたと,たまには肉も食べたいと思うあなたの友人は物々交換を行うことになった.その時,交換する獲物どうしが”同じ分量である”ことをどのように保証すれば良いだろうか.

 

 現在の社会においては重さとか体積(水に沈めれば測れる=アルキメデスの原理)といった基準を思いつくが,遥か太古,まだ人類が物々交換による社会を構築し始めた頃なら当然問題になるだろうし,一歩間違えれば争い(戦争)になるだろう.当然,何らかの方法で

 

  ”数を数える”

 

という行為が必要になる.獲物をいくつかの塊に分けておいて(見た目で大体の大きさが同じであると判断したとして)その塊がいくつあるかを数えるのである.

 

 単に数を数えるだけでなく,農耕が始まればより多くの収穫を得るために広い土地が必要になるから,何らかの方法で”面積”を測る必要がある(測量と幾何学の誕生).

 

 農耕も,漁も,天候と季節に左右されるから,太陽や月,星の動きを観測して天候を予測できれば食料確保の効率を上げることができる(天体の運動と関数,微分方程式

 

 ある程度経済が発達し,階級社会になれば自らの国家を有利に運営するためにより優秀な数学者や工学者が必要になる.そうなれば数学者も工学者も職を得るために”自分が優秀である”ことを示そうと互いに問題を送り合い,解けるかどうかを競いあう(代数方程式はその典型例であるし,アルキメデスと黄金の王冠は有名な話である).

 

(もちろん以上のことがらについては,何か証拠となる文献を見つけた訳ではなく,私の妄想の域を出ないので,話半分で読んでもらいたいのだが)

 

 結局の所,人間はその存在においてマズロー欲求段階説の枠から逃れることはできないから,数学の誕生もきっと人間の生存に対する欲求とか社会での承認欲求とかが根源となって生まれたのだろうと私は思っている.なんせ我々には108つも煩悩があるのだから.

 

 最初に書いた通り,数学的な美しさを味わうとか真理の探究といったことを否定するつもは毛頭ないし,むしろそのような価値観に基づいて数学的営みを行うことができることは幸せだと思う.私も数学をやっていて,この定理は美しいなぁ〜 と思う定理に出会うこともあれば,自分もいつかこんな論文を書いてみたいなぁ〜 と思う論文に出会うこともある.

 

 しかしながら,数学における美や真理といった価値の一方で,数学そのものの存在価値をそこだけに縛り付けるようなことは,人間の傲慢さの表れではないかともおもう.

 

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