「受験数学」と「数学」

私はいわゆる「勉強」と「受験勉強」は全く別のものだと考えている.したがって数学も「受験数学」と「(学問としての)数学」とは違うものと考えている.

 「受験数学」は 高校入試や大学入試において限られた時間の中で,答えのある問題を素早く正確に解くことである.
 
 したがって,
 
「公式や解法をたくさん暗記していること」
「受験数学において成功すること」=「志望校に合格すること」
は限りなく必要十分に近いと思って良いだろう.
 オーソドックスな解法の組み合わせで解けない問題が出題されるような場合もあるが,そういった問題が出題されるのはごく一部の難関校か,そうでなければ誰も解けないので合否に影響しない可能性が高い.
 
 しかし,大学に限らず,数学を学問として学ぶ上では,
「公式や問題の解法をたくさん暗記していること」
「数学を理解すること」
の必要条件ではあるかもしれないが十分条件ではない.
 
 「受験数学」に慣れてしまっていると,教科書に書かれている定理や練習問題の解法を単に暗記することがそのまま理解することと同値(暗記さえしてしまえば,それで勉強は終わり)と考えがちであるが,それは間違いである.

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「関数のこと」

数学ではよく関数をつかう.大学までいくと,関数それ自身が研究の対象となる(特別な性質を持つ関数の集まりを考えその性質をしらべる)こともある.

関数とは,関係する2つの数字の対応関係のうち,ひとつが決まればそれに対してもう一方がただひとつきまるような対応のことである.

例えばマイナンバーに対して,対応する人の名前の画数を対応させれば,それは関数である。

関数を使った身近なものには天気予報がある.気象庁では,そのときの気温や空気の流れをもとに,空気の流れや温度といったものを関数で表現してそれらが満たすべき方程式をといて,未来の天気を予測している.

関数は,他にも様々な場面で人知れず役立っている.

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「無限を扱う力を解き放て」(証明と数学の力)

有名な話だと思うが,「カラスは黒い」ことを証明するには世界中すべてのカラスを調べて,全部が黒いことを示さなければならない.到底無理な話である.

数学の世界では無限にたくさんのものについて,成り立つ性質を調べることができる.

例えば,

「偶数の2乗は必ず偶数である」

ことを示すには次のようにすればよい:

n を整数とすると偶数は 2n とあらわせるから

2n × 2n = 4n^2

4n^2 は2で割りきれる整数であるから偶数である.


  地球上のカラスは多分無限にはいなくて有限のはずである.それでもすべてのカラスを調べるのはとてもできる気がしない.しかし,数学の世界では無限のものについて正しいことがわかる場合がある.
これは、「無限を扱うことができる」という数学の力のひとつである.

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数学の勉強方法 -補足-


前の記事で、文章題の練習には新聞記事を要約するのがよいとかいた.
少し補足すると、数学の文章題を解くには、導きたい答えを導くために,文章中の必要な情報 "だけ" を読み取る(不必要な情報を頭の中から蹴飛ばす)必要がある.


例えば植木算なら,植えられるものが植木だろうと,チューリップだろうと,長さ1の線分だろうと,でてくる数値は同じである.
そもそも,地面に植えなくてもただ点を直線の上に並べると言い換えてもよい.

文章を読んで,その文章が伝えたいことを伝えるために不必要な情報を削ぎ落とし,必要な情報だけを抜き出すには既に短くまとめられた新聞記事をさらに要約するというのがよい練習になる(と思う).

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数学の勉強方法 -再考-

 

 大事なことなのでもう一度.

 

 数学は自然科学の言葉である.だから数学を勉強する時には,”数学という新しい言語” を学ぶつもりでやるべきである.まずはお手本(教科書)をノートに写す.

 定理や公式はなぜ成り立つのかを写しながら考える.定理なら,それぞれの仮定は証明のどの部分で使われているのかを考える.公式ならなぜこのような式変形が必要なのか考えながら導出の過程を写す.

 次に,具体的な例ではどのように使えるのかを計算する.そして練習問題や例題を何度も解く.

 この順番は入れ替わっても良い.先に例題や練習問題で公式を試してみてからその公式の導出の過程を考えながら写しても良いし,定理を使って例題や練習問題を解いてから証明の内容を写すようにしても良い.各自がやりやすい順番でやるべきである.

 少しずつ応用問題にうつる.わからなければ躊躇せずに解説(日本語の説明や図、グラフなどを含む完全な解答)をノートに写す.そしてやっぱり問題文の仮定がどこで使われているのか,これまでに学んだ公式や定理がどこで使われているのか,別解はないか、、、など思いつく限りのことを考える.そしてわかったと思ったら,一旦別のことをして,しばらくしてからもう一度解いてみる.できなければまた解説を写す、、、を繰り返す.

 

 算数,数学に限らず,計算問題は練習あるのみである.

 

 文章題については算数でも,中学校・高校の数学でも,4つの段階があることに注意 することが大事である.そして,どの段階でできていないのかによって勉強の方法が異なる.

 

1.文章題の文章の意味を理解できているか

 

2.文章題の仮定から結論を導くのに必要な式(方程式など)を書くことができるか

 

3. 2で作った式を計算して答えを導くことができるか

 

4. 問題文で聞かれていることに対して,正しく(必要なら単位をつけて)答えを書くことができているか

 

2,3,4,はその子の書いた答案を見れば一目瞭然である.1.は答案を見ただけではわからない場合が多いが,問題文の状況を絵に描いて説明してもらえばできているかできていないか大体判断できる.

 

 私の経験からすれば,文章題が苦手な小学生,中学生のうち 70% から 80% くらいは1の「文章題の文章の意味」が理解できていない.そういう学生たちが,学年が上がり,高校の数学を学ぶようになったからといって,いきなり”数学という言葉”で書かれた文章を理解できるようにはならないし,むしろもっとわからなくなる.

 

 話を戻そう.そもそも,3ができなければ応用問題よりまず計算問題を練習させるはずだし,4は単なる注意力不足だから特に問題にしなくて良い.

 2.は,1ができていてはじめて問題となるが,これは初めに書いたように”数学という言葉”に慣れる,あるいは ”算数という考え方に慣れる” 他ないから何度も正しい考え方を聞いて,ノートに書き写して,考えて、、、 を繰り返すしかない.

 

 では,1ができていない場合はどうするかというとこの場合はそもそも”日本語の力”の問題であるから数学をやるよりも文章を読む練習をする方が良い(ただし,”国語の力”ではない).

 日本の学校教育における初等学年での国語教育は,”作者の気持ち” とか "登場人物の心のうごき"  に偏りすぎている(それも重要だがやはり”偏りすぎている”ように思う).

 

数学や算数の文章題で

 

  " 鶴と亀の頭と足の総数が数えられるなら, はじめから別々に数えられるはずなのに, そうしなかった人はどんな気持ちだったのか" 

 

とか,

 

  ”植木を植えるのに,  その間を数えて人はどのように感じるか”

 

とかを考える必要はない(だから植木が杭に変わっても,亀が犬に変わっても関係ないし, もっと言えば 2 と 4 が書かれたカードの枚数と書かれている数字の和でもよい).

 文章にある事実をそのまま事実として捉え,何がわかっていて(仮定),何がわかっていないのか(聞かれていること,結論)をきちんと把握することである.

 

 以上の理由から,私が塾で教えていた時,文章題が苦手な子には,

 

「毎日,新聞記事で気なったものについて,できる限り簡潔に要約を書く」

 

という宿題を出していた.

 

 その子はスポーツが好きだったから,毎日スポーツに関する記事について,何が起こって結果どうなったかを纏めてくれた.

 その後(数字で測ることはできないが,多分)その子は文章題に強くなったと思っている.

 ポイントは,”気持ち”とか”心の動き”といった書かれていないことを想像するのではなく(たとえ書かれていても,もしそれらが記事で伝えたいことと関係が無いか,関係が薄い情報である場合はすべて削ぎ落として),書かれている事実を”可能な限り簡潔に”まとめることである.

 だからこの宿題については,常に”もっと短く,簡潔に要約できないか”という視点で添削を行う.

 国語の作文や感想文では,自分がどう考えたかを豊かな日本語の表現によって,それなりに分量のある文章で述べる必要があるが,それとは真逆である.だから”国語の力”ではなく,”日本語の力”とかいた.

 そもそも新聞の記事は,事実を限られた紙面で簡潔に伝えるように書かれているから,それをさらに要約するのは意外と簡単なことではない.

 

 時間はかかるが,ここに書いた方法以外に数学や算数が苦手な人が克服する方法はないと思っている.

 

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「想像と現実の間で」(役に立つ数学はどのようにして生まれるのか - 複素数の話 - )

 

 あなたは

 

 子供のころ,有名になった時のためにサインを書く練習をしたことはあるだろうか

 ヒーローインタビューで何を答えるか想像したことはあるだろうか

 宝くじで1等が当たったらに何に使おうか考えたことがあるだろうか

 

 いずれも実際にそうなるかはわからないし,現実のものになるとしてもそれは同じような想像をしている沢山の人の中のごく少数だろう.

 

 しかし,もしサインの練習をしている子供が,大リーグで誰よりも沢山ホームランを打つという想像を実現すれば,多くの人に勇気を与えることになるかもしれないし,宝くじが当たったら親を亡くした子供たちのために基金を設立したいと想像している人が,現実に宝くじに当たったら多くの子供達が助かるだろう.

 

 

数学の研究の成果というのは,

 

  現実にはいったいいつ,何のために役に立つのかわからないこと

 

のオンパレードである.その一方で,”いったいいつ,何のために役に立つのかわからないこと” の幾つかは,あるときからこんなことにも役に立つ,あんなことにも役に立つとどんどんわかってきて,ついには「この理論は大事だから是非若いうちに学習するべきだ」となって教科書に掲載される.

 

 まるで,将来に備えてサインの練習をしている沢山の子供達の中から,世界を魅了するスーパーヒーローが誕生するかのごとくである.

 

 虚数複素数もそうした ”スーパーヒーロー” である.”スーパーヒーロー” であるがゆえに,ちょっととっつきにくかったり,癖があったりするかもしれないが,根気よく付き合っていればきっと仲良くなれる.

 

 歴史的な始まりは3次方程式の解の公式において,”2回掛け算して負の数になる数” をどうしても考えなければならないということが発表されたことである(カルダノの公式).その後,いろいろと発展を遂げて ”複素数はいろいろと応用もあってすごく大事だ” ということがわかり,高校の教科書に掲載されている.

 

 虚数は英語で

 

 Imaginary number = 想像上の数 

 

という.虚数の実数倍を純虚数という.

 

複素数の意味はもともと

 

 ”2つの異なる単位を持つ数の組み合わせ”

 

という意味のようである.今日に至っては,複素数といえば

 

 ”実数” と ”純虚数” 

 

の組み合わせのことをいうことになっている.

 

 他にも数学の世界では,”2つの平行線は交わらない” ということが成り立たない世界での幾何学とか,複素数をさらに拡張した”4元数” といったものまである.

 いずれも

 

現実にはいったいいつ,何のために役に立つのかわからないこと

 

であったが,今となっては物理的に重要であることがわかったり,世の中の科学技術を支える上で役に立っていたりする(らしい).

 ちなみに,ゼロ ”0” や ”負の数” といったものも発見された当初は

 

”現実にはいったいいつ,何のために役に立つのかわからないこと”

 

であったようである.

 

 だから,”役に立つ研究” というのは,”結果的に役に立つと後からわかった研究成果” のことであって,”役に立つことが確約されていた研究” ではない.

 したがって ”役に立つことが確約されている研究をせよ” といわれてもそれはなかなか難しい(これはただの愚痴ですね.... ).

 

 

追記1:

 

 複素数が実際にどのように役に立っているかについては沢山の本が出版されているし,インターネット上にも沢山の記事がある.代表的なものとしては,三角関数との間に成り立つオイラーの公式

 

 e^{i x} = cos x + i sin x ,  ( i^2 =  -1)

 

である.この関係が重要な理由を簡単に述べる.

 三角関数というのは波の動き方や伝わり方を表現する上で重要な関数である.そして一番身近な ”波” は ”音” である.

 あなたが,今もしイヤホンで音楽を聴きながらこのブログを読んでいるなら,その音源をコンピュータで処理するプロセスでこの三角関数が使われている.

 そして,その音楽の音のような複雑な音の組み合わせを表現するには,”沢山の” 波の形が違う三角関数を使う必要がある(フーリエ級数フーリエ変換).

 そのとき,sin と cos の足し算を e^{ix} のようにいっぺんに表すことができると色々と便利なのである(もちろん複素数を使わずに,sin, cos を使って処理している場合もある). 興味のある方は ”フーリエ変換” や ”音楽” などのキーワードで調べてみてほしい.

 

追記2:

 もちろん”数学”としての研究成果が後から役に立つことがわかるだけでなくて,数学以外の分野での問題を解決するために新しい数学がくつられて,それが発展してさらに役に立つものになって.... という場合もある.ちょっと難しい話だが,ディラックデルタ関数に対するシュワルツの超関数や佐藤超関数,確率過程における伊藤積分や伊藤の公式などは,応用上の問題から数学的に発展した代表的な例であろう.

 

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分数の割り算の話

 

 分数の割り算では,割る数の分母と分子を入れ替えて掛け算する.この理由を説明するのには割り算の意味を知っている必要がある.割り算には幾つかの意味があるが,そのうち,1つあたりの量(比)の意味を考える;

 

例: 6個のりんごを3個ずつ袋に分けます. 全部でいくつの袋ができるでしょうか. 

 

 

6(個) ÷ 3(個) = 2(袋) 

答え:2袋

 

 

ここで, 

  ⬜︎ ÷ ◯ = △ 

のとき,⬜︎を割られる数、◯を割る数,△を商という.

 

割り算の計算の結果△は,”◯を”1”とした時に⬜︎はいくつか” ということを意味している.大事なのは「”1”にしたい方を÷の後ろに置く」ことである.

 

 

実際,前の例では,

 

6÷3 = 2 だから,3を”1”と数える(袋に3こずつ入れて,3個を1袋と数えることにする)と,6は”2”(2袋)と数えることができるという意味である.

 

 この関係は,比によって表すこともできる.

 すなわち

   6 : 3

と数字を並べて書いておいて,右側の3を3で割って1にするのと同時に左の数も割ると

 

(6 ÷3):(3÷3) = 2:1

 

この式の意味もやはり,「3を”1”と数える(袋に3こずつ入れて,1袋と数えることにする)と,6は”2”(2袋)と数えることができる」という意味である.

 

 それでは,分数どうしでこの計算をやってみよう.

 

3/2 : 4/3   

 

の右側を1にすることを考える.ここで,3/2は”2分の3”=1.5 である.

 

まず,両方に3をかける;

 

(3/2 × 3)  :  (4/3 × 3) = 9/2 : 4 ・・・①

 

両方を 4 で割って

 

((9/2) ÷ 4) : (4 ÷ 4) = 9/8 : 1 ・・・②

 

だから, 4/3 を "1"  と数えることにすると 3/2 は ”9/8” になる.

 

もう一度,①と②を見てみると,3をかけて4で割っているから,3/4 を両方に掛け算すればいっぺんにできることがわかる;

 

(3/2 × 3/4) : (4/3 × 3/4) = 9/8 : 1・・・③

 

ここで割り算に戻る.「4/3 を1としたとき,2/3 はいくつになるか」を計算する計算は

 

3/2 ÷ 4/3 ”1”にしたい方を÷の後ろに置く

 

であった.比の計算から答えは 9/8 である.この数字はどこから出てきたかというと③の左側:(3/2 × 3/4) である.

 

 したがって,「4/3 を1としたとき,2/3 はいくつになるか」を計算する計算式は

 

 3/2 ÷ 4/3 ”1”にしたい方を÷の後ろに置く

 

 

   3/2 × 3/4 (比の計算③の左側

 

の2つがある.

 

 しかし,「4/3 を1としたとき,3/2 はいくつになるか」の答えはひとつしかないはずであるから

 

「3/2 ÷ 4/3」と   「3/2 × 3/4

 

は同じでなければ困る.数学では”同じである”ことを ”=” とかくから

 

2/3 ÷ 4/3  = 3/2 × 3/4

 

となる.

 

 

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